out there

色々綴ってみようかと思います。

東日本大震災から10年

あの日私は、大学でサークル活動をしている時に被災した。
今まで感じたことのない、大きな揺れで、「地震が来たら頭を守る」とかこれまで何度も教わってきたけれど、私の足はその場から一歩も動かなかった。


とりあえず、建物の中から出て近くの広い公園に一旦避難して。
電車は動いていないので、帰ることは諦めて、大学の近くに住んでる友達の家に何人かで一泊させてもらった。


夕飯時にお腹が空いたから、友達のバイト先のカレーを不安になりながらもぞろぞろと食べに行った。いつも行ってるカレー屋、いつもの味、オーナーが店を開けていてくれて安心したのを覚えている。


友達の家で数人でいるのは心強かった。
一人で電車に乗っている時だったら、もっと不安だったと思う。


津波の映像や余震で気持ち悪くなってしまった子がいた。たしか、記憶違いかもしれないけど「ヒックとドラゴン」みたいな、何らかの映画を観て気を紛らわせた。


次の日、みんなのんびり起きて、お昼をこれまた大学の近くのお店で食べて、何とか帰れそうだからお家に帰ろうと、電車に乗って自宅へ帰った。


それからの日々は、何だか不思議だった。
新聞を開くたびに増えていく死者、行方不明者の数。


大学生だった私は時間と体力だけはあったので、震災からおよそ1ヶ月後に石巻へのボランティアに参加した。


ボランティアは必要なものは全て自分で揃えなくてはならず、人生初のワークマンに行き、長靴、上下の作業着、ゴーグル、防塵マスク、強い手袋(釘とかに負けない)を購入した。


夜行バスに乗って、石巻へ向かう。
知り合いはいない、バスの中なぜか夜中に泣きそうになった。


すでに現地でボランティアをしている方が行きのバスに同乗してくれていて、道中に被害状況を説明してくれる。


「この山の向こうまで津波が来たの」
そう説明され、山をくぐるトンネルを抜けると
窓の外には信じられない光景があった。


船がガソリンスタンドの上に乗っかっていたり、鉄骨が剥き出しになっていたり、車が何台もひっくり返っていた。


街があったなんて信じられないほど、
そこには建物が無かった。


そしてバスを降りると津波が来ていたことを実感するような独特なにおいがした。


ボランティアの内容は土砂の清掃。
神社や学校で泥を掻き出し、散乱した枝やゴミを拾った。


現地の方から作業開始前にお話があった。
「昨日もその裏でご遺体が見つかったよ」


それを聞いた時、現地で起きていることの重さが伝わってきた。
1ヶ月前までの日常はそこには無い。
生きていたはずの人がいない。


当時20年ちょい生きてきた中で、はじめて死をすごく近くに感じた。


石巻から帰ってきてから、大学で募集してた被災地で泥の中から見つかった写真の洗浄のボランティアをしたり、こちらへ避難してきた方々の住宅に向けて企画を持ちかけて、サークルで演舞させていただいたり、少しでも何か役に立ちたくて、色々な活動をした。


秋頃には気仙沼の方にもボランティアで訪れた。
今思うと、本当に行動力だけは一丁前。
その頃から比べるとなんか保守的になっちゃってる気がして、なんか過去の私自身に負けたくないなって思う。


大学の頃だからmixiの日記にこのあたりのことが情熱的に書かれているんだと思う。
今思い出しながらブログを書いているけれど、きっとその時の文章の熱量には敵わないんだろうな。


でも、震災のことを忘れてはいないから。

コロナが落ち着いたら東北へ足を運びたい。
今は、遠くからできることを少しでも。